『宗教なき時代を生きるために オウム事件と「生きる意味」』
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生きる意味
読み終わった
さらにSisoCatは本書の中で述べられている「ネットワーク」の解答になっているのでは、とも感じる
第一章 宗教なき時代を生きるために
真理
信じているものとは、「真理の原理」をどこに置くか、という話になるか?mrsekut.icon 宗教の開祖が指し示す「絶対の真理」を信じる
教祖の言われるとおりに導かれることで私が救われる、ということを信じる
絶対的な真理には到達できない私の限界をありのまま見つめることで、超越者の存在を受けいれる
宗教と、世俗世界、に代わる第3の道の模索
現代社会では、「生きる意味」を問うた時に取りうる選択肢は、
宗教に入信する
もしくは、その問いを考えることを捨てて世俗世界に生きる
の2つしか無い
これが選択肢として乏しい、貧しい
例えば、オウムについて見たときも、暗に「オウム信者」と「それ以外の傍観者」に二分されるが、この視点がそもそも貧しい
「余計なこと」を考えずに、その道を進まないとレースから脱落してしまう世界
企業でも、研究者でも。
それが本当にやりたいことだったのか
科学は「死んだらどうなるのか」も「生きる意味」も教えてくれない
科学は「自分という存在」を取り扱えない
科学は追試でき、それを再現できることが必要条件であるが、「自分という存在」は追試が不可能
第三の道
生死の問いについて、科学に異議申し立てつつも、宗教のような信仰に頼らず、自分の頭で思考して追求しながら生きていく
神秘体験が意味するもの
神秘体験によって、宗教の絶対性を信じ込むことに繋がる
凡人を超えた力
強大な力
権力欲
自己と宇宙を接続する
閉じた組織と、真実という甘い蜜
自分たちが正しい、という感覚になる
自分たちを批判する外部の人たちは、真実を知らないのでそういう発想になる
自分たちの真実を知らしめることこそが重要で、そのためには小さな悪は許容される
みたいな、感覚になる
すっごくわかるmrsekut.icon
こういう状況下で、この閉じた世界を壊す異物が外部から来ることがある
このタイミングで、自らの相対化をするべき
そうじゃないと世界が狭いままになる
しかし、これ、元の信念が強ければ無理よなmrsekut.icon
著者はグループ崩壊してもその思考が抜けきらなかったが、自分が赤ちゃんに対して起こした衝動によって論理の矛盾に気付いた
わかるmrsekut.icon
こっちの方が説得力が大きいmrsekut.icon
外部の異物ごときで信念が崩れるのか疑問だが、自分によって自分の思想が否定されたら真っ更に戻せるのはわかるmrsekut.icon
第3章 癒やしと救済の罠
産まれてきた意味とは、生命の連鎖を未来に託すこと
宗教的カリスマ
尾崎の謎の死について
聴衆の欲望によって死んだ
pp.178-182
尾崎の話をオウムの話と接続する
一人の人に依存した責任転嫁な集団と過ちの構造
第4章 私が私であるための勇気
日本人に一番必要なものは宗教でなく、自分の頭で物を考えるという習性である
しかし、自分の頭で物を考えるということは、一人で世界に立ち向かう孤独に耐えることである
それは、とても辛いことなのだ
宗教は一時的な救済に過ぎない
いずれ「いまここにいる現実の自分」と「宗教に説かれているあるべき姿」の乖離に悩む
この問題は、宗教によって解決されない
1995年の出版から、2019年の完全版が出るまでに出た本の中で言及されているもの